東京高等裁判所 昭和63年(ネ)3168号 判決 1990年4月25日
控訴人 甲野太郎
右訴訟代理人弁護士 中村護
同 城加武彦
右中村護訴訟複代理人弁護士 橋本幸一
被控訴人 甲野花子
右訴訟代理人弁護士 植木植次
主文
一 原判決主文第一項を次のとおり変更する。
1 控訴人と被控訴人とを離婚する。
2 控訴人と被控訴人との間の長女春子(昭和四六年七月三一日生)、長男一郎(昭和五〇年一月五日生)及び二女夏子(昭和六〇年一月二二日生)の親権者をいずれも被控訴人と定める。
3 控訴人のその余の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、第一、第二審を通じて、これを三分し、その二を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 控訴人と被控訴人とを離婚する。
3 控訴人と被控訴人との間の長女春子(昭和四六年七月三一日生)、長男一郎(昭和五〇年一月五日生)及び二女夏子(昭和六〇年一月二二日生)の親権者をいずれも被控訴人と定める。
4 被控訴人は、控訴人に対し、金六〇〇万円を支払え。
5 訴訟費用は、第一、第二審とも、被控訴人の負担とする。
二 控訴の趣旨に対する答弁
本件控訴を棄却する。
第二当事者の主張及び証拠関係
当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決五枚目裏一一行目の「この頃からは、」の次に「控訴人が強く反対するのも無視して、」を加える。
二 原判決七枚目表三行目の末尾に続けて「そして、被控訴人は、昭和六〇年には、自己の生活水準を下げて宗教活動に年間一〇〇〇時間以上を捧げなければならない「全時間奉仕者」の地位につき、現在に至っている。また、長女は昭和六〇年に、長男も昭和六一年に、それぞれ信者となり、集会に出席するにとどまらず、集会において講話を行うまでになっている。」を加え、同六行目と同七行目との間に改行して次のとおり加える。
「20 以上の事実によれば、控訴人と被控訴人との間の婚姻関係は既に完全に破綻しており、そして、右破綻は被控訴人の責に帰するものであるから、控訴人は、民法七七〇条一項五号に基づき被控訴人との離婚を求める。」
三 原判決七枚目表七行目の「20」を「21」と、同一〇行目の「21」を「22」とそれぞれ改める。
四 原判決九枚目裏末行の「出生したこと」の次に「、子供たちが入信していること」を加え、同一〇枚目表一行目と二行目との間に改行して次のとおり加える。
「全時間奉仕者とは、自己の生活を犠牲にしてまで宗教活動に専心する義務を負うものではなく、その奉仕はすべて自発的なものであり、全時間奉仕者として認められても、これを中止することは全く自由である。しかも、年間一〇〇〇時間といっても、一日当たりにすれば、二・七三九七時間であり、家庭生活を拘束するものではない。」
五 原判決一〇枚目表三行目の「同20」の次に「及び同21」を、同五行目の「本件」の次に「原、当番」をそれぞれ加える。
理由
一 《証拠省略》によれば、控訴人と被控訴人とは、昭和四五年四月一八日に婚姻の届出をした夫婦であり、両名の間には、長女春子(昭和四六年七月三一日生)、長男一郎(昭和五〇年一月五日生)及び二女夏子(昭和六〇年一月二二日生)が生まれていることが認められる。
二 《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。《証拠判断省略》
1 控訴人は、昭和三七年から株式会社乙山に勤務しており、結婚後もその勤務を継続している。また、被控訴人は、結婚当時は株式会社丙川の丙田工場に勤務していたが、長女春子の出産に伴い退職し、その後は自宅で洋裁の内職を半年位したことがあるほかは、専業主婦であった。控訴人らの家族は、結婚当時は、丁原市にあった乙山の家族寮に居住し、その後社宅に移ったが、昭和四九年ころ戊田町に自宅を建築して同所へ転居した。同所が被控訴人の現在の肩書住所地である。
2 被控訴人は、長女春子が昭和四九年八月一一日に控訴人の運転する自動車に轢かれて頭部に傷害を負い、外傷性てんかんの後遺症が残ったため、同女の治療や養育に悩み、昭和五一年ころからキリスト教の一派である「エホバの証人」主催の「聖書の勉強会」に参加するようになった。
3 被控訴人の信教状況は、当初の二年間は、「エホバの証人」の関係者に週に一度一時間位自宅に来てもらって聖書の話を聞く程度であり、控訴人もこのことを許し、外で集会があるときは、自己の自動車で被控訴人を送るなどしていたが、被控訴人は、昭和五三年ころから「エホバの証人」の熱心な信者となり、定期的に集会に参加するようになった。集会は、当初は火曜日、木曜日は甲田市で、日曜日は戊田町で開かれたが、最初は常時出席したわけではなく、集会がすべて戊田町で開かれるようになった昭和五六年から常時出席するようになった。集会の時間は、火曜日は午後七時から同八時まで、木曜日は午後六時半から同七時半まで、日曜日は、午前九時半から同一一時半まで(当初は午後二時から同四時まで)であった。また、被控訴人は、そのころから、昼間も伝導活動に従事するようになった。そして、被控訴人は、右集会に出席するに際し、家族の夕食を作る等の家事まで怠ることはなかったものの、控訴人が仕事から帰宅しても家におらず、夕食が冷えたまま用意されていることもあった。
4 控訴人は、昭和五四年ころに至って、被控訴人の信仰している宗教が「エホバの証人」であることを知った。そして、書物等から「エホバの証人」は、正月、雛祭等の風俗的習慣による行事や葬儀の際の焼香等を行ってはならないこと、政治との関わり合いをもってはならず選挙権を行使してもならないこと、格闘技をしてはならず、子供は運動会の騎馬戦にも参加してはならないこと、輸血は罪悪であり、事故等により輸血が必要になってもこれを拒否しなければならないこと等の独特の教義をもっていることを知り、また、被控訴人が、前記集会への出席、伝導活動等で家を明けることが多かったこともあって、被控訴人に対し、「エホバの証人」を信仰するのを止め、集会等への出席も止めるよう説得するに至ったが、被控訴人は、この説得を全く聞き入れようとはせず、逆に控訴人に対し右宗教への入信を勧めるなどした。控訴人は、被控訴人がエホバの証人の集会に参加したり、伝導活動をしたりするのを止めさせるため、被控訴人の父親や仲人等に依頼して被控訴人を説得してもらい、また、昭和五七年九月には、地方に在住する控訴人の両親や被控訴人の父をも東京都内に招き、同人らを交えて被控訴人と協議をしたが、被控訴人は、宗教活動を止めたり、これを自粛したりすることを拒否し続けた。
5 被控訴人は、昭和五三年ころから集会や伝導活動に長男、長女を連れて行くようになっていたが、控訴人が被控訴人の宗教活動に反対し、子供らを宗教活動に連れていくことを止めるよう説得するようになってからも、その反対、説得を無視して子供らを集会や伝導活動に参加させていた。
6 その間、控訴人の父が、昭和五九年九月一二日に死去し、その葬儀が乙田市で行われた際にも、被控訴人は二女夏子を妊娠しているという理由で出席せず、長女も出席を拒否し、長男一郎だけが出席して周囲の勧めで焼香したが、被控訴人は、これを控訴人の強制によるものと考えて快く思わなかった。さらに、被控訴人は、昭和六〇年七月に乙田市で行われた控訴人の父の一周忌にも特段の理由なく出席せず、長女も出席を拒否し、長男一郎のみが出席したが、焼香は拒否するに至った。
7 控訴人は、昭和五〇年に同人の姉が肺結核になり、昭和五三年に同人の父が脳血栓で倒れたころから、酒をよく飲むようになったが、被控訴人が「エホバの証人」に入信したことを知ってからは、強度の困惑と不安を覚え、酒で気を紛らわし、かつ、酔ったあげく被控訴人に対し辛く当たることが多くなった。被控訴人は、これに対し、控訴人がアルコール依存症にかかり、そのため精神的に不安定な状態になっているとして、昭和六〇年ころから、精神科医に相談したり、控訴人を精神科医に連れて行って診断を受けさせたり、控訴人の上司に相談したりしたが、控訴人は、被控訴人のこのような態度は控訴人をないがしろにするものであると考え、被控訴人に対しますます嫌悪感をつのらせていった。
8 被控訴人は、昭和五九年に二女夏子を妊娠したところ、控訴人は、夫婦関係が既に破綻していることを理由にその出産に反対したが、被控訴人は、これに従わず、昭和六〇年一月二二日に夏子を出産した。
9 控訴人は、被控訴人が前記のとおり控訴人の気持ちを無視して宗教活動を続けることに怒りを爆発させて、昭和六〇年三月ころ及び同年六月ころの二回にわたり、被控訴人の家計簿を破ったり、夏子のおむつを風呂桶に投げ込んだり、夏子の布団やコンビラックに「殺人宗教エホバ」、「自分の子供も殺しますエオバ」、「邪宗エホバの証人」等と落書きしたり、さらに金属バットで夏子のベビーベッドやコンビラックを壊したりしたことがあった。
10 被控訴人は、昭和六〇年九月には、「エホバの証人」において、年間一〇〇〇時間、月九〇時間の奉仕活動を行う「全時間奉仕者」となり、以来、宗教活動に没頭している。また、長女、長男をも積極的に集会に参加させ、現在では両名とも「エホバの証人」の熱心な信者となるに至っている。さらに被控訴人は、二女の夏子に対しても、幼い時から聖書を読むべきであるとして聖書を与え、これを読ませている。
11 控訴人は、昭和六〇年の初めころから自宅の二階で家族とは独立した生活をするようになり、夫婦の家庭内別居の状態が始まった。さらに昭和六一年四月には、控訴人が自宅を出て肩書住所地のアパートで生活するようになり、被控訴人及び三名の子供らとは全く別居するに至った。
12 控訴人は、昭和五九年五月二日に東京地方裁判所八王子支部に離婚の調停を申し立て、期日が五回にわたって開かれたが、同年一〇月二五日右調停は不調のまま終了した。また、控訴人は、昭和六二年二月にも再度右支部に離婚の調停を申し立て、期日が二回開かれたが、同年三月一七日調停不成立により終了した。
13 以上の次第で、控訴人は、被控訴人が宗教にのめり込み家庭生活をないがしろにしたとして、被控訴人及びその宗教活動を嫌悪し、さらに現在では、被控訴人が今後宗教活動を止めても同人と再び同居する気持ちはないと述べるばかりか、子供らと一緒に生活する気持ちをも失っている。これに対し、被控訴人は、現在では、離婚する気持ちは全くなく、控訴人が帰ってくるのをいつまでも待っているとし、また、控訴人が「エホバの証人」を嫌悪するのは、同人がその教義を正しく理解しておらず、かつ、アルコール依存症により精神状態が不安定になっているためであると考え、将来控訴人が「エホバの証人」を正しく理解するようになれば、控訴人との正常な婚姻生活を続けることができるものと考えている。しかし、控訴人のために、自己の宗教活動を自粛する考えは全くもっていない。
三 そこで、以上に認定の事実関係に基づき、控訴人と被控訴人との間の婚姻関係が破綻しているか否かについて判断する。
前記認定の事実によれば、控訴人は、被控訴人が「エホバの証人」に入信していることを知った後は、被控訴人及びその宗教活動を強く嫌悪し、被控訴人に対し宗教活動を止めるよう説得したが、これが受け入れられないばかりか、子供たちまでも宗教活動に参加するようになり、被控訴人に同調する立場をとるに至ったこともあって、家庭内でますます孤立し、その結果、飲酒にふけったり、落書きや器物破損に及んだりした上、遂には自ら家を出て別居するに至っている。これに対し、被控訴人は、宗教活動に参加することによって家族の夕食を作る等の家事までないがしろにすることはなかったものの、控訴人が被控訴人及びその宗教活動を嫌悪していることについては、単に控訴人が「エホバの証人」を正しく理解しないためであるとして、逆に入信を勧めることはあっても、控訴人の気持ちを思いやって宗教活動を自粛する等の努力をすることはせず、むしろ、控訴人の反対を押し切って子供らをも積極的に宗教活動に参加させており、そのことが、控訴人の気持ちをますます被控訴人や家庭から離れさせる結果を招いている。
しかも、控訴人は、前記認定の経過に基づき、自らの意思によって既に長期間別居しており、今後被控訴人が宗教活動を止めても再び夫婦としての共同生活を営む気持ちは完全に喪失したと考えているのに対し、被控訴人は、控訴人と離婚する気持ちは全くなく、控訴人が帰ってくるのをいつまでも侍っているとはいうものの、控訴人との共同生活を回復するために、宗教活動を止めるとか自粛する気持ちは毛頭なく、控訴人が「エホバの証人」を嫌悪するのは、同人がその教義を正しく理解しておらず、かつ、アルコール依存症により精神状態が不安定になっているためであると考えるなど、控訴人の考え方とは全く相容れない正反対の考え方をしているから、今後、双方が相手のために自分の考え方や立場を譲り、夫婦としての共同生活を回復する余地は全くないものといわざるを得ない。
したがって、控訴人と被控訴人との婚姻関係は、既に完全に破綻しているものと認めるべきである。
四 そこでさらに、控訴人と被控訴人との間の婚姻関係破綻の責任がいずれにあるかについて判断する。
ところで、信仰の自由は、個人の基本的人権に属する問題であり、夫婦といえどもこれを侵害することは許されない。しかし、夫婦の間では、互いに相手の考え方や立場を尊重して、自己の行為の節度を守り、相協力して、家族間の精神的融和をはかり、夫婦関係を円満に保つように努力をすべき義務があるのであり、夫婦の一方が自己の信仰の自由のみを強調し、その信仰に基づく宗教活動に専念して、相手の生活や気持ちを全く無視するような態度をとった結果、夫婦関係が悪化し、婚姻関係を継続しがたい状態に立ち至った場合には、その者にも婚姻関係破綻の責任があるとされてもやむを得ないものといわなければならない。
一方、前記認定の事実によれば、控訴人は、被控訴人との婚姻生活中、飲酒にふけり、酔余落書きや器物損壊に及んだこと等が認められるが、これらは、婚姻関係破綻の原因というよりは、むしろその結果というべきであり、仮にこれらが婚姻関係破綻の一因となったとしても、これのみでその破綻が生じたものとは解し得ない。また、控訴人が被控訴人に対し、同人の宗教活動を止めさせようとしたこと自体も、前記認定の事実関係の下においては、それほど非難に値いする行為であったということはできない。
むしろ、本件においては、当事者双方が、それぞれ相手方の考え方や立場を無視してかたくなな態度をとり、婚姻関係を円満に継続する努力を怠ったことが婚姻関係破綻の原因であると考えられるから、控訴人のみに右婚姻関係破綻の責任を負わせることはできず、その責任は控訴人と被控訴人との双方にあるものといわざるを得ない。
五 そうすると、控訴人の本件離婚の請求は、民法七七〇条一項五号所定の事由に該当し、その理由があるというべきである。
そして、前記認定の事実を総合して考えると、控訴人と被控訴人の間の三名の子の親権者は、いずれも母である被控訴人と定めるのが相当である。
六 なお、控訴人は、控訴人と被控訴人の婚姻関係破綻の責任はすべて被控訴人側にあるとして、それによって控訴人が被った精神的苦痛に対する慰謝料を被控訴人に請求するが、前記認定のとおり両名間の婚姻関係破綻の責任は双方にあり、被控訴人のみに責任があるとはいえないから、仮に婚姻関係の破綻によって控訴人が精神的苦痛を被っているとしても、被控訴人に対し慰謝料の支払を命じるのは相当でない。したがって、控訴人の本件慰謝料の請求は理由がない。
七 以上の次第であるから、控訴人の本件離婚請求はこれを認容し、本件慰謝料請求はこれを棄却すべきである。よって、控訴人の本件控訴に基づき原判決主文第一項を本判決主文第一項のとおりに変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥村長生 裁判官 前島勝三 富田善範)